【ひぐらしのなく頃に業】誰が神となり、人の業を赦すのか。【考察】

こんにちは。中野です。

 

今回は、現在放送中のアニメ『ひぐらしのなく頃に業』についての考察記事です。

リメイクだと噂されていた本作ですが、まさかまさかの完全新作。

この令和に、ひぐらしをリアルタイムで考察する日が来るとは思っていませんでした……。

先日、放送された4話で『鬼騙し編』に区切りが付いたので、これまでの『ひぐらし』と異なる部分、疑問点などを明らかにしつつ、本作の主題について考えていきたいと思います。

 

 

※注意!

以下からは、重大なネタバレを含みます。見たくない方はブラウザバック推奨です。

前作までのアニメ『ひぐらしのなく頃に』『ひぐらしのなく頃に解』を観ていれば分かるように、適宜用語解説などを加えつつ書きますが、原作(ゲーム)の内容や『うみねこのなく頃に』の内容にも一部触れる可能性があることをご了承ください。(ちなみに筆者は『キコニア』をやっていないので、その内容は出ません)

 

 

オヤシロ様」とは何か?を再考してみる。

(前略)…それがこの世界の抗えぬ掟であり、あなた方を悩ませる掟でもあるならば、私は共存の引き換えに、人が罪を押し付けあわぬ世界を授けましょう。人より生まれ出でる罪と穢れを、全て私に負わせなさい。そして私の存在を祓いなさい。全ての罪は人に在らず。我が身に負わせれば、人同士が罪を押し付けあうことはありません。(祭囃し編より)

『鬼騙し編』2話の冒頭で、羽入が"残り香"であると明かされます。つまり、本来のオヤシロ様としての彼女は存在しないということ。梨花に状況を説明する彼女は、神の残滓に過ぎない。

したがって、この先に続くカケラでは、羽入は存在していない、ないしは介入できない可能性が高い。

羽入が存在していない世界、ということだけ考えれば澪尽し編の後の話か。

さて、先程引用した部分で、オヤシロ様(羽入)とは、人の犯した罪を一身に背負い、それを正当化する存在であるということが示されていました。

端的に言えば、それこそが「雛見沢症候群」の正体であるということ。

全ての惨劇は「雛見沢症候群オヤシロ様(羽入)」のせいだから仕方ないよね、とも言ってしまえる訳です。

人の業によって生まれた罪を神が赦す。これが、雛見沢の内部構造です。

 

ここからは少し本題から外れて、メタ的な思考を記していきます。

そもそも『ひぐらしのなく頃に』はミステリでもホラーでもなく、ファンタジーだとするのが私の持論です(作品を貶す意図はありません)。

「解答編」において真相は雛見沢症候群にまつわる鷹野三四の陰謀でした!と言われて「えぇ……」と思った人も少なくないと思うんですよ。実際結構叩かれてましたし。

この作品をミステリと考えると、そういった感想になってしまうんですよね。再度言いますが、本作はファンタジーです。

では、ここで『ひぐらし』の本質を考えてみましょう。

そもそも、この『ひぐらし』という壮大な物語(ファンタジー)は、誰のための物語なのか。そして、誰が紡いだ物語なのか。

『WHEN THEY CRY』全体を通して、各作品を紡ぐ「書き手」の存在が示唆されています。

いわば"作中作者"とでも言いましょうか。

それは、FredericaBernkastel、あるいはフェザリーヌ・アウグストゥス・アウローラ、あるいは造物主バトラです。

「?」と思った方は、とりあえず『ひぐらし』も『うみねこ』も、その物語を書いた何者かがいるのだと、そういう認識で結構です。

ひぐらし』や『うみねこ』のゲーム盤は、その「書き手」の内面世界を表しているとも取れる訳ですね。

では、我々読者の位置付けはどうなるでしょうか。簡単に言ってしまえば読者は、この「書き手」によって紡がれた物語を読んでいるに過ぎません。

"信頼できる語り手は存在しない"というのは、メタ視点で言えばそういうことなんです。物語には、その「書き手」の意思、主観が織り交ぜられているのですから。

そして私も含め、こうした考察を書くことは、すなわちカケラを紡ぐ「書き手」になるということ。我々も「偽書作家」であるということです。こうして閉じた1つのゲーム盤から無限に世界が広がっていく、それが『WHEN THEY CRY』の魅力であり、本質なのです。

 

話を『ひぐらし業』に戻します。今回のお話の焦点をまとめると

・羽入がいない世界=雛見沢症候群が存在しない

→責任転嫁できるものが存在しない=言い訳の出来ない世界

梨花はなぜ昭和58年の雛見沢の再演をさせられることになったのか。今回の物語の「書き手」は誰なのか。

 

それでは、順番に考えていきましょう。

 

 

・羽入がいない=雛見沢症候群が存在しない可能性

まず、これまでの雛見沢に存在していたルールXYZを振り返りましょう。

 

ルールX

毎回誰かが疑心暗鬼に取り憑かれ、凶行に及ぶ。換言すれば、雛見沢症候群L5をランダムで誰かが発症し惨劇を起こす。発症の主なトリガーは富竹、鷹野、大石。


ルールY

梨花が明確な意思と目的によって必ず殺されること。言い換えれば終末作戦。

作中で必ず共通して発生するイベントは誰かの強い意志が働いている事柄であること。


ルールZ

雛見沢で発生する惨劇を「オヤシロ様の祟り」として容認する空気。園崎家はそれをいわゆる「園崎ブラフ」として利用している。

そして、雛見沢全体を包むこの空気は、ルールXやルールYを作り出す土壌にもなっていること。

 

今回、雛見沢症候群が存在しないと仮定すると、ルールXの前提が変わってきます。そして、黒幕だった鷹野の目的も達成できないので入江機関も必要ないということになります。4話にて診療所の改装という名目で証拠隠滅を図っていた可能性もありますね。今回のカケラに梨花が送り込まれたタイミングで雛見沢症候群が消えたのかもしれません。

また、4話にて惨劇が発生しましたが、結果的にレナが疑心暗鬼に陥りました。圭一も同様に直前までレナに対する恐怖を感じていましたが、最終的にそれを打破しました。圭一に襲いかかるレナ、それに立ち向かう圭一。結果として圭一が生存、レナは助からなかったと魅音から語られました。

いずれにせよ、疑心暗鬼によって惨劇が引き起こされる、というのは不変のようです。

しかしながら、これまで圭一たちの不和を煽る主要な人物であった富竹、鷹野、大石に関して、今回は影が薄い印象でした。大石は圭一と直接接触しましたが『鬼隠し編』ほど恐怖を煽ることはしていません。また、綿流しの夜に富竹と鷹野から圭一が殺人の話を聞く部分がそもそも無くなっている。翌日、富竹と鷹野が失踪していますが、余りにあっさりし過ぎています。遺体も見つかっていないということは、敢えて姿を消したのでしょう。

以上から、ルールXは若干ズレがあります。

 

ルールYは梨花の死亡が確認されたので、存在しているようです。今回も梨花は「死の円環」に閉じ込められている。しかし、梨花の死亡後に終末作戦が実施された様子がありませんでした。圭一とレナの一件の翌日に、梨花と沙都子が亡くなったようですが、圭一が目覚めるまで数日経っても終末作戦は実行されなかった=鷹野退場済みということでしょう。では、今回は誰の意思によって梨花は「死の円環」に囚われているのでしょうか。

ルールZはそのまま残っていそうですね。「園崎ブラフ」が発動している描写は確認できませんでしたが。

 

閑話休題

 

4話の終盤より。

首を掻いているレナのシーンがあったり、L5発症しているように、あからさまに演出されていました。

しかしながら、あの2人の対決シーン、何か違和感ありませんでしたか?

例えば、包丁を何度も何度も突き立てられ、大量に出血していた筈の圭一が生存していて、対するレナは置き時計で殴られただけで(直前に突き飛ばされて頭を強打していたとはいえ)死亡というのは中々無理があります。

あのシーン、私は猛烈に違和感を覚えました。

思い出してください。本作は(出題編において)"信頼できる語り手は存在しない"んです。

うみねこ』では"赤き真実"が存在しますが、本作ではそうした便利システムはありません。

Tips 赤き真実・・・『うみねこのなく頃に』において登場する概念。赤文字で書かれた事柄は覆らない事実であることを示す。例えば、密室殺人を考えたときに"隠し扉は無かった"と書かれていれば、それ以降は隠し扉について考慮する必要が無くなります。

信頼できる語り手がいない以上、あのシーンは真実ではないと考えるのが自然でしょう。真相は別に存在する。

鬼隠し編』でも、そうでしたよね。作中で描写されたレナや魅音のあれこれ、おはぎに針、全て雛見沢症候群による圭一の被害妄想です。

「それはそうとして、首引っ掻いてたしL5は発症してるよね?」

……はい。そこが今回の『ひぐらし業』の核心だと私は考えます。

 

結論を言います。

 

"雛見沢症候群に関する全ての描写がブラフ"

 

理由ですが、これもメタ視点でのお話になります。

まず、本作ですがリメイクとして告知されていました。2020年にリメイクしたところで結末も真相も全部知ってるし……ということで視聴に前向きな人は私のような根っからのファンくらいだったと思います。Twitter眺めてたら「今更ひぐらしやるの?」みたいな意見をちらほら見かけましたしね。

恐らくですが、そこを逆手に取ってきたと思うんですよ。

つまり、真相(=雛見沢症候群という本来解答編の終盤にしか明かされない本作の核心)をほとんどの人は知っているという状況を利用して、それすらも舞台装置に組み込もうということです。

ひぐらし業』の目的は我々視聴者のバイアスを利用して「騙す」ことなのではないでしょうか。単純に「新作です!でも結局全ては雛見沢症候群のせいです!!」って言われても面白みが無いですしね。

 

ただし、メタ視点で考えて天下り的に結論を導き出しても説得力に欠けるので、以下からは作中の描写において「雛見沢症候群が存在しない可能性」について考えていきましょう。

 まずは『鬼騙し編』において終始不穏だったレナ、対照的に『鬼隠し編』より落ち着いていた圭一、この2人から考えていきます。

 

以下、本編でのシーンとそれに対する「雛見沢症候群」を用いない、私なりの解答を箇条書きにします。

 

レナ

1話

・圭一の問いに対しての「知らない」

→これはレナの発言の通り。ただの演出

・部活(宝探し)後に呆けていたレナ

→別のカケラ(恐らく罪滅し編)の記憶を見ている

・ゴミ山でケンタくん人形を探すレナ、露骨に焦る

罪滅し編での記憶から、自分の犯行か確認するために遺体を探していたところだった

・レナ「絶対そこにいてね」発言。圭一の元に戻るまで遅すぎる

→「絶対そこにいてね」は圭一に嗅ぎ回られたくないから。例えば凶器など、自身の犯行を示す証拠を探していて遅くなった?やっていないことの証明はできないですからね。それは時間もかかるでしょう。

・鉈を握りしめて圭一を見つめるレナ

→圭一への疑念が強まった?

 

2話

・冒頭、1話ラストの続き。レナが圭一に対して鉈を振りかぶる

→これもブラフの可能性高。流石にこの時点で圭一殺害の動機は薄い。ここでレナの考えとして、圭一殺害の線が生まれたことの示唆か。

・鬼ごっこの後、顔を洗う圭一の背後にレナ

→圭一の動向を監視する意図か。これもカケラの記憶が挟まれたことに起因する。

・再びゴミ山へ。剥き出しの鉈を持つレナに圭一「持とうか?」レナ「大丈夫」

→レナがここで鉈を渡したくない理由を色々考えましたが、この後あっさり渡してるので、恐らく普通に大丈夫と言っただけでしょう。つまりこれも単なる演出。深読みするなら「鉈」=「凶器」=「狂気」というレナの持つ、危うい一面。圭一を拒絶することで、あくまでも1人で戦う意思表示?

・圭一のバラバラ発言、その後のレナの表情と異様なほどの間

→ここめちゃくちゃ怖い。可能性としてはここで圭一もフラッシュバックしてたので、レナにも同じことが起きていた可能性がありますね。1話で呆けていたのと同じ。

・ロープを結ぶレナの妙な手際の良さ

→前述したフラッシュバック、ここでどこまで記憶を見ているか、だと思います。レナの様子から察するに、圭一よりは影響を強く受けていそうです。ということは、この手際の良さは罪滅し編の経験によるものか。まあ元々レナは料理できたり、家事もできて器用ですからね。ミスリードかな。

・綿流しの祭り会場で人の波に攫われそうになるレナ「圭一くん助けて!」

→深読みするならレナの心の声。人の波は別のカケラの様々な記憶に引っ張られそうになっていることを暗喩。つまり、いまのレナを救うキーマンは圭一。

 

3話

・富竹と鷹野を発見する圭一、しかし「邪魔しちゃ悪いか」とその場を去る。それを見ていたレナ。

→部活メンバーを探しに行って、戻ってきたらたまたまその場面に出くわした。レナ視点では富竹と鷹野と会話してから去ったようにも見える。レナの圭一への疑念が強まるとしたらここ。

・レナ、推理ゲームを外す。そして犯人はレナ

Twitterで「レナは名探偵だから推理を外すのは不自然(要約)」っていう意見を見たのですが、確かレナは推理"ゲーム"は苦手なはず。苦手だからこそ部活では圭一と協力する感じだったと思うのですが。ただ、元々の洞察力や観察力は抜きん出ているので、綿流し編で自前の推理を披露したりしてました。してたよね?ここと混同してるのかな。すみません、この辺の記憶が私も曖昧かつ原作の該当部分探す時間なかったです……。分かる方いたら教えてください。このシーン、自分はあまり引っかからなかったです。ここをメタファーだとするなら流石に直接的過ぎますからね。

・「嘘だッ!」

→ここは『鬼隠し編』とは違って、ガチで言ってるかもしれませんw

・「レナすごいがんばったよ?すごいすごいがんばり物語だったよ?」

→これはカケラの記憶の話。記憶の中での自分が、がんばっていたと、そういうことです。もしくは、それに抗う自らの努力の話。記憶の混濁によってかなり不安定になっているのかな。

これもがんばり物語と聞いてピンと来る「知っている人」向けの強烈なミスリードと思ってしまうんですよね〜(逆張りすぎ?)

・「圭一くんに隠し事があるように、レナにだってあるんだよ?」

→言ってしまえば当たり前で、別の世界の記憶の話なんて誰かに出来ないですからね。今回のレナは、そのことを誰にも話せなかった。自分1人で何とかしようとしてしまった。仲間を、ひいては自分を信じることができなかった。

・圭一の自宅に来ていたレナ。大石と電話している姿を覗いていた?

→これも現状どうだったか、はっきりとは言えないです。4話で圭一が推測したように、部屋の前まで来たけど話し声が聞こえて、そのまま帰ったかもしれないし、しっかり覗いていてレナの疑念が強まったという可能性もありますね。

 

4話

・圭一の家に晩ご飯を作りに来たレナ 『鬼隠し編』での例のシーンと重なる場面

→インターホンは両手が塞がっていたためにうまく押せずに連打した格好になった。ドアを叩くのも両手が塞がった状態で叩くのは難しいか。とすれば、この演出は圭一の心理を表したブラフの可能性。

→圭一は疑念を振り切り、扉を開けてレナを家に招き入れた。記憶のフラッシュバックは、圭一にとってプラスに働いた。

・物騒な道具を重箱から取り出すレナ

→真相は不明。本当に持ってきていたかもしれないが、わざわざ重箱に入れる必要ある?

・首を掻くレナ。L5発症のサイン。

→これはブラフだと思います。

・レナ「お父さんを守らなくちゃ。私が家を守らなくちゃ」「圭一くんを殺して、私も消える。あ、そうか。これが今年のオヤシロ様の崇りなんだよね?」

→相当錯乱していることが分かりますね。先ほどの発症のサインと合わせれば、これは雛見沢症候群によるものだと、そう思わせられます。しかし、私の説である「カケラの記憶」の干渉に起因する錯乱でも説明可能です。

・レナ「圭一くんを殺して、私は鬼隠しで消える。それでお父さんだけは静かに暮らせる」

罪滅し編では間宮律子と北条鉄平が組んでレナの父親を美人局にかけようとします。レナは2人を始末することでそれを回避するのですが、今回の鬼騙し編で、その2人について描写は何もありません。生死不明ということは、そもそも絡んでいない可能性の方が高いです。(間宮律子に関しては名前が出た時点で死亡フラグが立つほどのクズ人間なので)

ただ、今後何かのきっかけでクズ2人組が父親を陥れる可能性はゼロではないんですよね。なので、お父さんが静かに暮らせると確信している今のレナの中では、彼女らの脅威がない=死んだことになっている。罪滅し編のレナが憑依しているということでしょう。完全に記憶に飲み込まれてしまった。

・圭一を殺害しようとするレナ

→圭一を殺そうとする動機を考えたのですが、これだ!と言えるものがないです……。この後の病院でのシーンでも、ここでレナと圭一に何があったかは明言されてません。うーん、猫箱。ひとまず、私の考えた説を記しておきます。

 

記憶の混濁によって、自分が信じられなくなったレナは、バラバラ殺人発言をした圭一に対して、自らの罪(罪滅し編での律子、鉄平殺し)を知っているかもしれないと疑念を一層強めていった。また、もう一つの罪である茨城での過去を圭一が大石から吹き込まれていることを知ったことも大きな要因か。レナの中で、罪の意識が大きくなり、この罪を祓う必要があると考えるようになった。罪を祓うのは神、オヤシロ様である。従って、レナはオヤシロ様の祟りになぞらえて、罪を生み出した自分自身を消し、罪を共有している圭一を殺すことで、ケジメをつけようと考えた。そうして罪を祓うことで、父親が平穏に暮らせるようになると信じて。

 

どうでしょう。一応「雛見沢症候群」というワードは用いずに、それっぽい説明にはなっているかと。

また、今回の『ひぐらし業』では羽入(オヤシロ様)が存在しないことが示唆されていました。では、誰がオヤシロ様になるのか? 『鬼騙し編』では、それがレナだったのでしょう。今回の雛見沢の再演は「誰かがオヤシロ様になる」話とも考えられそうです。

 

圭一

『鬼騙し編』の圭一は『鬼隠し編』とは違い、重要な分岐点では惨劇を回避する選択を取っていたと思います。圭一に関しては記憶のフラッシュバックがプラスに働いたようです。この点はレナとの対比構造になっているのかも。また、梨花の働きかけも大きかったように思います。梨花がレナに対して何かしている描写は無かったので、もし梨花が圭一だけでなくレナにも働きかけていれば結果は違っていたかもしれません。

圭一の最大の謎は、4話の対決シーンですね。防御力に極振りしたんか?ってくらい耐久高い圭一にちょっと笑っちゃいました。

まあ、実際はそんなわけないので、どこまでが真実でどこまでが虚構なのかを考えていきましょう。全てが嘘という可能性もありますが……。

圭一に襲いかかるレナ、当然圭一はそれに対抗します。誰だって殺されたくないですからね。圭一はすてみタックルでレナを突き飛ばしました。ここまでの描写は筋が通っています。圭一の正当防衛。

テーブルに後頭部を強く打ったレナは、その打ちどころが悪く、意識が無くなった。ないしは脳挫傷によってその場で死に至った。圭一もそれを見てPTSDを起こし意識消失、昏睡状態に。結果、2人の発見は遅れ、レナだけ助からなかった。圭一が首にギプスをしているのは、意識消失により倒れた時の怪我とも取れます。

レナが起き上がって包丁を何度も突き立てられるシーン、ここからのシーンは不可抗力とはいえ圭一がレナを手にかけてしまったという事実から目を背けるために作り上げた虚構と考えることもできるでしょう。

結果として圭一宅で倒れている2人が発見されるが、圭一の頬の傷、争った形跡などから錯乱したレナの凶行に対して圭一が正当防衛したということで処理される。つまり、客観的に見るとあの場は不自然な点は無かったために誰も圭一を追求しなかった。大石だけは違和感を覚え真相を問いただそうとした。

また、圭一が時計を使ってレナを殴りつけていたのは、時間を巻き戻したいという願いの暗喩か。

ラストの看護婦のセリフ「首が痒くないですか?」は単純にコルセットを長時間付けていて蒸れて痒くないですか?という意味でミスリード

 

魅音(詩音)

とりあえず『鬼騙し編』ではあからさまに不穏な様子はなかったですね。入れ替わりに関しても現段階では何とも言えません。次の『綿騙し編』では魅音と詩音にスポットライトが当たるはずですから、それが楽しみですね。

1点、『鬼騙し編』の魅音で気になったところを挙げます。

4話ラスト、私服の魅音ですがモデルガンを携帯していませんでした。あれ?もう入れ替わってる? そして梨花と沙都子が首を包丁で刺されて亡くなっていたことが明かされます。梨花が鷹野以外の要因で死ぬとしたら詩音によって梨花が追い詰められる『綿流し』と『目明し』。

ん?もしかして今回、全員裏で動いてる?? この線も否定できませんね……。

 

梨花・沙都子

2人に関しては、次の項でまとめます。

 

ひとまず部活メンバーに関してまとめましたが、いかがだったでしょうか。

「なんでもアリじゃねーか!!」と思われたかもしれません。

そう、なんでもアリなんですよ。所詮、私はただの「偽書作家」に過ぎませんから。こういう物語も考えられるという、あくまでも一例です。

そして、本作が雛見沢症候群が無い世界と仮定した場合、盤面の彼らの「選択」に言い訳は一切できません。彼らの罪を押し付ける存在がありませんから、犯した罪はそのまま本人の罪です。ひぐらし業』は人の持つ「業」に焦点を当て、その罪をどのようにして祓うか。これが本作の主題だと私は考えました。要するに自「業」自得、というわけです。かなり悪趣味なシナリオですが……。

 

 

・なぜ梨花が昭和58年6月を再演させられているのか。

これも大きな謎です。そもそも『ひぐらし』は『祭囃し編』にて全てのカケラを集めて終わりを迎えたはず。誰が何のために?ここを紐解いていきましょう。

2話冒頭、梨花の着ている制服に着目します。

これは「聖ルチーア学園」のものと思われます。

Tips 聖ルチーア学園・・・表向きはお嬢様だけが通う全寮制の女子校。しかし、一部の生徒は「訳あり」で世間から秘匿するために学園に通わされているという側面もある。詩音がその代表例。

OP映像にも聖ルチーアの建物らしきカットがあります。更にOP映像の中で成長した沙都子らしき人影が制服を脱ぐシーンがあります。というわけで、梨花が元いた世界で梨花と沙都子は聖ルチーア学園に通っていたであろうと推測できます。

また、梨花が事故で死んだのか殺されたのか羽入は分からないと答えていましたが、どちらにせよ、誰かの強い意志によって昭和58年の6月をやり直しさせられることになったのでしょう。以下は私の仮説です。

祭囃し編』にて運命を打ち破った梨花は、そのまま順調に成長し、沙都子と共に聖ルチーア学園に入学する。しかし、沙都子が雛見沢症候群をぶり返してしまう。何かしらのきっかけで沙都子がL5発症し、梨花を殺害。今回のゲーム盤に梨花が招かれる。過去に戻って雛見沢症候群のない世界(羽入のいない世界)で昭和58年6月の再演をすることで、その運命を乗り越えた世界線においては雛見沢症候群を完全に克服したことになり、梨花と沙都子はハッピーエンドを迎える。

つまり、今回の再演は未来における惨劇を回避するためのものなんです。未来の惨劇を回避するために過去の惨劇を回避する……頭おかしなるで。

では、今回のゲーム盤は誰によって用意されたものなのか。これもOP映像からの引用になりますが、フェザリーヌの可能性が高いと思われます。映像の中でフェザリーヌと思われる人影が描かれていること。また、右腕が破損していない御神体が描かれていること。破損していない御神体というのは、フェザリーヌを暗示しているのだと思われます。

御神体の破損=記憶装置が破損している=羽入だとすれば、完全な状態=フェザリーヌということです。

フェザリーヌのシナリオは、こうです。

・今回のゲーム盤は梨花と沙都子のためのものである。

ベルンカステルとラムダデルタの対立構造はそのまま。

ベルンカステル梨花、ラムダデルタ=沙都子。

・ルールXYZの大筋は変えないが、雛見沢症候群が無い世界のため、疑心暗鬼を引き起こす原因を変える→別のカケラの記憶をフラッシュバックさせることで混乱させる。存在しない過去が挟み込まれると容易に人は壊れることを、BLEACHの月島さんが証明してくれています。

 

梨花と沙都子の対立構造は、部活で宝探しをしたシーンで暗示されています。宝探しでは沙都子が勝ちます。しかし、後で梨花がびっくり箱で沙都子をKOします。これが、今回のベルンとラムダの戦いの大枠だと私は考えました。

つまり、終始沙都子に翻弄され一旦は勝ちを譲りますが、どんでん返しで梨花が勝利するという流れ。4話で2人が死んでいたのは、殺し合った可能性も十分考えられます。

そして、この『ひぐらし業』が梨花と沙都子のための物語とする2つめの理由は、オヤシロ様の祟りです。

言い換えれば4年目までの綿流しの夜に起こる事件。これは既存の物語と変わっていません。何故でしょうか。

答えとしては、4年目までの事件は梨花と沙都子にとって、少なからずプラスに働く要素だからです。言い換えれば、彼女らの意思によって起こる事件。したがってルールYにより、4年目までの事件は必ず起こる共通イベントになるといえます。

以前の雛見沢では、鷹野の意思によって必ず梨花が殺されます。それは、彼女が高野一二三の理論を証明したかったから。女王感染者である梨花を綿流しになぞらえて殺し、終末作戦を発動させる計画こそが、その方法でした。

では、今回の雛見沢はどうでしょうか。

先程の私の仮説を引用すれば、未来において梨花は沙都子に殺されます。梨花は過去において、その元凶を絶つために昭和58年6月を再演させられる。それならば、過去における沙都子が未来の沙都子の影響を受けていても不思議ではありません。というより、それがフェアですよね。つまり、未来で梨花を殺したという事実が、過去の沙都子の動機になるということです。

では、未来の沙都子が何故梨花を殺すのか。

またまたOP映像からの引用になりますが、花が花瓶から落ちているカットがあります。

この花は「除虫菊」で、花言葉は「忍ぶ恋」です。このことから、恋愛関係でのいざこざで不信感を募らせた沙都子がL5発症し、梨花を殺害するに至ったのではないでしょうか。

以上が、梨花が再び「死の円環」に閉じ込められた理由になります。

 

 

いかがだったでしょうか。これが、私の考える『ひぐらし業』です。

 

雛見沢症候群」なんてものは存在しない。

罪を犯すのは、人の持つ「業」なのだから。

 

もし圭一が、レナを何か恐ろしいものに感じたとしたら、疑うのはレナではなく自分自身なのですよ

 

 

にぱ〜☆