生きることは、戦うこと。

 


デカダンス→虚無的。退廃的な風潮や生活態度。


今期、最も面白い作品と言っても過言ではない『デカダンス』ですが、終盤に差し掛かるにあたって、これまでの展開を振り返りながら考察をしたいと思います。

 


ちなみに1〜7話視聴時点での情報のみで、最新8話は今日放送されるものを観ます。

 


※一応ネタバレ前提での話になりますので、観ていない方に関してはブラウザバックしてください。

また、考察に関してはあくまでも一個人の意見ということでご理解いただければと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

1話『ignition』

 

冒頭のシーンで、ナツメの父がサイボーグの残骸を発見して「この世界は何かがおかしい」 と呟きます。そして、その残骸に刻まれていたマークはソリッドクエイク社のものでした。

まず、ここで2話以降の物語が頭に入っていない状態、つまり初見では当たり前ですがこの点には気付きません。見返すことでさまざまな気づきが得られるのも、この作品が面白い所以だと思います。物語の構成、進行の仕方が非常に巧いと感じます。

 


ここで示唆されていることは何かを考えます。まず、地上にサイボーグの残骸が発見されるのはおかしいと思いませんか? 現在、彼らは地下で暮らしています。地上に出る際はギア素体の姿のはずです。つまり、あのポップなデザインのサイボーグの姿では外には出ないはずなんです。

この残骸は、少なくともデカダンスというゲームが始まる以前の、数百年前のものであることがわかります。

その時期までは、サイボーグは外で活動していたのではないか?ということがわかります。

 


この残骸を見てナツメの父は何に気づいたのでしょうか。まるで『鋼の錬金術師』のヒューズ中佐みたいですよね。いち早く異常に気付いて「軍がやべえ!」と言ったアレ。"知りすぎて"しまった結果、ヒューズ中佐は命を落としてしまいますが……。ナツメパパは果たして……。


一旦、置いておいて次のシーンに進みます。

 


場面は移り変わって、ナツメのいる教室。

子供たちは以下のような文章を読み上げさせられます。

 


「ガドルにより、人類は人口9割を失った。それから数百年、タンカーはギアの庇護のもとで暮らしている。ギアに尽くすことが、模範的なタンカーである」

 


タンカー(人間)はこのように教育されているようです。ギア(サイボーグ)>タンカー(人間)という図式。長い年月を通して、人間はそれに疑問すら抱かないように刷り込まれていました。


主人公ナツメは「カノ力」に入って戦士になることを望んでいましたが、その願いは叶わなかった。しかし、その結果、カブラギと出会うことになります。

 


この出会いが、ナツメの、そしてカブラギの運命をも変えるきっかけになりました。

 


ナツメと出会った当初のカブラギのセリフ

「何をしても変えられないものがある」

 


諦観、虚無主義、退廃的といった印象ですよね。

まさに「デカダンス」そのものです。

 

彼は後に、それをぶっ壊そうとする訳です。

 


2話『sprocket』


まずサブタイトルの"sprocket"なんですが、知らない単語だったので調べたら、どうやらチェーンホイールと呼ばれるような歯車のことらしいです。

身近なものだと、自転車のチェーンに付いている歯車がそれにあたるようです。駆動を伝達させるものですね。

で、ここでやっと各話のサブタイトルが全て「機械にまつわるもの」だったことに気づきました。皆さん気づいてましたか? 私は全然気にしていませんでした。

 


では中身の話に移ります。

 


冒頭で、あっさり「デカダンス」という娯楽の種明かしがあります。初見のときは驚かされました。

 


そして、ギア素体は生身のため死んだら最初からやり直しとのこと。

 


まずここで違和感を覚えませんか?

 


「生身」?

 


別作品で申し訳ないですが、攻殻機動隊で言うところの「義体」のようなものかと最初は思いました。しかし、それを生身と表現するかな?と思うわけです。

仮に「義体」のようなものであれば、それは生身ではなく、結局サイボーグな訳で。

しかも、そのギア素体では痛覚もあるようなんですよね。その生身のギア素体にサイボーグの意識をどのように"ログイン"させているのか、そこが非常に気になるところです。

 


「本物ノ死《刺激》ガ、ココニアル」

 


死に直面することで、逆説的に生を実感する。

サイボーグにとって、自らの与えられた役割をこなすこと、歯車になることが至上の命題である訳です。しかし、感情を持ち合わせている彼らは決してロボットではありません。ですから、ある種哲学的に「生きること」に関して、考える余地がある。与えられた役割をこなすだけの一生に意味はあるのか。しかし"システム"は絶対の存在で逆らうことができない。

そんな中で、デカダンスという娯楽が生まれました。デカダンスというゲームの中で活躍することで、彼らは「生きる」ことを実感していたのです。

 

そして今回のお話で、カブラギに影響を与えたキャラクターの1人であるマイキーが登場します。彼は「スクラップは役目を果たした誇りと思っていた」「代わりが効く存在に戻りたくない」「限界まで足掻きたい」と語っていました。

 

しかし、最終的に彼はバグとしてスクラップにされるという末路を辿りました。

 


さて、マズローの欲求のピラミッド》を知っていますか?

生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求の5段階のピラミッドで、一つ下の段の欲求を獲得すると、その上のものを求めるようになる、という理論です。


恐らくですが、マイキーは1番上の自己実現欲求を満たそうとしたために、バグとして処理されてしまったのだと思います。スクラップにされた直接的な原因は、リミッター解除というチート行為によってですが。その行動の根幹には、そうした欲求があったと思います。

ランカー制度が導入されていることから、システムには承認欲求までの段階は認められているのでしょう。しかし、その上の自己実現欲求が生まれてしまった場合、システムにとって不都合が生じるのではないか?と考えます。

何故なら、サイボーグは役目を全うするだけの存在であり、己らしさとは何かを自問し、それを表現されてしまうと、使命を全うする歯車ではなくなってしまうからです。

サイボーグの中にもヒエラルキーが存在し、下の存在に「自由」があると上の人間には都合が悪い。反乱分子はできるだけ生まれて欲しくない。


デカダンスという"娯楽"は、サイボーグをそうしたある種の哲学的思考から目を背けさせるものではないでしょうか。

娯楽を与え、欲求を満たし、思考させない。そして搾取をする、という構造になっています。

 


ゲーム警察のフギンがサイボーグのコア?(脳みそのようなビジュアルで描写されています)を取り出しているシーンによると、それは貴重な資源であるそうです。

これは、サイボーグが元人間であることの証左で、恐らく外側の容れ物が変わっても、その核となる部分は変えられないのだと思います。

世界的な危機に陥った際に自らをサイボーグ化して難を逃れられる、そんな人間は人類の何%いるでしょうか。

仮に上級国民と名付けましょう、そういった人々の脳が使いまわされ、こうした形で生きている。

デカダンスには隠された目的があります。そして、それを知っているのはほんの一握り、限られた存在だけです。

 

場面は移り、カブラギのサイボーグとしての視点のお話です。

カブラギのHUDには「活動限界ガチカイデス」と表示されていました。マイキーの件(7年前)時点では残り175年の表示だったはずです。このズレは何なのでしょうか。これも後ほどまとめます。

 

 

3話『steering』

 

ナツメは死んだことになっており、システムに認識されていませんでした。幼少期にガドルに襲われ、死線を彷徨った際にナツメのチップが動作不良を起こし、システムには死んだこととして処理された、という背景がカブラギによって語られます。

 

果たして本当に? チップがその程度で不具合を起こすでしょうか。

これはカブラギ視点で語られた話なので、ミスリードな気がしてならないんですよね。

意図的にシステムの監視からナツメを外すように、誰かの意思が働いたと思えてなりません。


2400年代後半、人類によって大気汚染指数が致死量を超えた。

地球は生物の生息できる状態では無くなり、国という概念も消失。

難局を乗り越えるため、世界的大企業が自社サイボーグを開発。その中のソリッドクエイク社が全人類の所有権を手に入れた。

ユーラシア大陸にドームを設置し、そして巨大娯楽施設デカダンスが完成した、という一連の流れがここで語られます。

 

ここからわかることとして、現在はユーラシア大陸の外(ドーム外)は汚染された地域であり、生物の住めない環境になっている、ということです。

 

では、ユーラシア大陸以外の大陸はどうなっているのでしょうか。

恐らくですが、大企業というのはソリッドクエイク社だけではないでしょうから、同じようにサイボーグが存在し、デカダンスのような巨大要塞を構えている可能性は十分考えられます。

今後、ユーラシア大陸の外、ないしはドームの外の描写があるかはわかりませんが。

 

 


4話『transmission』

 

4話で気になったのは、パイプがガドルに喰われようとしている描写です。ガドルが共喰いする描写はこれまでなかったので、パイプがガドルではないことを示唆しているのではないでしょうか。また、1話の冒頭でナツメがザリガニを捕まえていたので、完全に生物が死滅している訳ではなさそうです。パイプがガドルでないならば、恐らくは既存の生物の突然変異種(=バグ)なのでは。

 

そして、エベレストでの新イベント「ネスト制圧作戦」が開始されます。

 

このイベントは所謂「死にイベ」というもので、通常のプレイヤーには倒せないガドルが登場します。

これにはギアだけでなく、タンカー部隊も参戦します。ギアに関しては素体が死ぬだけですから問題ないですが、タンカーは文字通り本当に死にます。

 

しかし、その死地にナツメも赴こうとしていました。

ナツメを守りたいカブラギは、なんとかして止めようとします。守秘義務に触れない範囲で。

 

「戦いはこの先もずっと終わらない。そもそも巣なんて存在しない」

 


「誰にも変えられない」

 

 

「この世界は作られたーー」

 

サイボーグにとっては、デカダンスという娯楽です。しかし、ナツメやタンカーにとっては、そこが「現実」です。そこに生きている訳です。
ナツメが戦うのは、戦いが終われば自由になれると信じているからです。目の前にゴールが見えているならば、誰だってそこにたどり着きたいはず。

 

しかし、真実はいつだって残酷なもの。

そのゴールは幻想でした。

 

場面は移り変わって、クレナイが「こんな狭いところで生きてるなんて、耐えられない」と、こぼします。

 

このセリフやこれまでの展開から、進撃の巨人を想起しました。壁の中で、ただ生かされている存在、それはただの「家畜」と変わらないのではないか。

 

生きるとは何か。

 

この作品で何度も問われている命題です。


ナツメの父は「世界が平和になれば外で生きられる」とナツメに教えます。

 


そしてナツメの言葉。

 

「世界を変えたいのではない。自分を変えたかった」

 

そう、ナツメはガドルとの戦いを通して、弱い自分と戦っていたわけです。

 

「生きるとは戦うこと」

 

ナツメはそれを「自分との戦い」と結論づけた訳です。


無情にも戦場に向かうナツメ、そしてイベントが開催されるところで4話が終わります。

 


5話『Differential gear』


イベントが始まりました。倒すことのできないガドルαに、次々とギアやタンカーが犠牲になります。

 


カブラギはナツメを守るためにリミッター解除し、ガドルαを撃破しました。

 


その結果、予定されていたシナリオが変わってしまい、本来は現れるはずのない、スターゲートという大型ガドルが出現します。

 


やむなく、スターゲートを撃破することに。

 

デカダンスキャノンが無事起動でき、スターゲートは排除されます。

 

ガドルの巣(ネスト)を破壊したことによって、訪れるかと思われた平和。


しかしながら、ゲームは次のステージへ突入します。戦いは終わりません。

 

ナツメをはじめとしたタンカーは、状況が理解できず、絶望します。


カブラギは、パイプを頼むと言い残し消えました。

 


「世界にバグは、必要だーー」

 


フギンが現実世界でカブラギの素体を処理したのは素体を回収するためでしょう。

 

あと、しれっとドナテロ 一味も出てきてましたね。

 

 

 

6話『radiator』


カブラギのギア素体が回収され、棺桶のような装置に入れられていました。

これは恐らくコールドスリープのようなもので、生身の素体を保存しているということだと思います。

通常のギア素体がこのようにして回収、保存されているような描写はいままでありませんでしたから、恐らくカブラギのギア素体は特別なものなのでしょう。そして、その特別な素体は他にも多数存在していることが示唆されています。


カブラギはスクラップ覚悟で今回の行動を起こしていました。しかし、思いがけずバグ矯正施設に送られることになります。

これはカブラギにとっても、フギンにとっても予想だにしていないことでした。

どうやら、ゲーム警察に口利きできる何者かによる意思が働いたようです。システムにとって、シナリオを変更させてしまったカブラギは、危険因子として優先的に排除するべきです。しかしながら、そうはならなかった。結果、カブラギはスクラップにされることなく生かされます。

 

当初はカブラギが生きていることがメリットになる、つまりバグを許容している勢力の働きかけかなと考えましたが、次の7話でミナトの個人的な感情でカブラギは助かったのだと分かりました。ミナト……。

 

 

 

7話『driveshaft』

 

ドナテロに勝利し、新規アカウントでデカダンスにログインしたカブラギ。

ゲームでよくある導入ムービーが流れ、利用規約が表示されます。

一瞬しか映りませんでしたが、不都合が生じた場合、運営は予告した上でサービスの提供を中止できることなどが書かれていました。

 

タンカー居住地にガドルが侵入したため、それを駆除するというミッションが始まります。

 

次々と犠牲になるタンカー。焦るカブラギはミナトに詰め寄ります。

 

「たかがタンカーだろう。増えすぎたタンカーを、ミッションを利用して体良く間引くんだよ」

 

そう、サイボーグにとって人間はその程度の認識なのです。ゲームで言えばNPCのモブキャラのような。

 

しかし、彼らが「生きている」ことを知ったカブラギは違います。

 

彼らのように「生きたい」と願うカブラギは全てを壊す決意をします。

 

 

ここまでが7話までの大体の流れになります。

 

・まとめ

 

一連の流れを通して、まずこの作品の世界観ですが、環境破壊によって現在の我々が生きている資本主義の世界が崩壊した後の世界が描かれています。

そして、その資本主義に代替するものとして「デカダンス」が登場しています。

過去の過ちを繰り返すことのないよう、完全な管理システムが敷かれた中で、生じる欲求は全てデカダンス内で満たす。

平和な世界を実現するために、ある種の共産主義的な世界に移行した訳です。

ですから、その世界の中で「個人」というものが尊重されてはいけないわけです。生きることは与えられた役目を果たすことです。

しかしながら、長い年月を経た結果、平和を実現するといった理念は形骸化し「バグは悪」という分かりやすい考えだけが残った。危険因子は徹底的に弾圧されます。

人類はサイボーグによって生かされ、人権も無い。そして、人類はそれに何の疑問も抱かないようになっていた。

そうした中で、世界に対する疑念を抱く人間とサイボーグが現れ、完璧と思われた世界に綻びが生まれる、という筋書きになっています。

 

恐らく、ナツメやカブラギ以前にもそうした疑問を抱く存在はいたはずです。例えば、ナツメの父。彼は何かを掴んでいました。しかし、知りすぎてしまった。

明確に死亡している描写はないため、恐らくどこかで生きているのではないかなと思います。

個人的な願望ですが、最後にナツメと再会してほしい。

 

現実の時間とサイボーグの活動可能時間のズレについて。これは恐らく、現実の時間軸とサイボーグとしての時間軸(活動可能時間)には差があるということを表しています。サイボーグの核となる「脳」のテロメアの長さ、つまり細胞分裂のタイムリミット=サイボーグとしての活動限界なのではないでしょうか。オキソンは、万能エネルギーでもあり、テロメアを延伸させる効果があると考えられます。

サイボーグ(元人間)はオキソンを継ぎ足し、外殻を交換していくことで永遠に生きられるわけです。

 

そして「デカダンス」の目的ですが、ガドルはサイボーグによって生み出されているのは明かされました。人類が大気汚染で地上で生きられなくなったとしたら、まずその大気汚染という問題を解決しようとしますよね。

ですが、汚染から逃れるドームを設置しただけで根本的な解決には至っていない。

 

そもそも、何故デカダンスというゲームが始まったかを考えましょう。

大気汚染によって、国も無くなり世界が崩壊しました。そして世界的大企業によって一つの組織に統治されたわけです。敵がいなくなってしまった状態。

「生きることは戦うこと」ですから、ガドルという仮想敵を生み出し、デカダンスという娯楽を作ったのでしょう。

ガドルは必要悪であり、彼らにとって切っても切り離せない存在です。

 

ではガドルはどこから生まれたのか? 現在はガドル生産工場で生産されていることが明かされています。また、大型ガドルに関しては、あらかじめステージにオブジェクトとして設置されているようです。

 

オキソンを生み出すガドルはデカダンス運営にとっても、そしてガドルが食料になっている人類にとっても生命線と言うべき存在です。

 

で、このオキソン、実は商標ではありますが実在します。

しかしながら、デカダンス内でそれ(ペルオキシ一硫酸カリウム)を指しているわけではありません。

 

では何か? これは「酸素(oxygen)」を暗に示しているのだと思います。

生物が生きていく上で必要不可欠なものです。

それを生み出すガドルは、やはり必要な存在というわけです。

 

曲解になるかもしれませんが、恐らくこのオキソンは大気汚染問題を解決する可能性を秘めていて、ガドルはその一端を担っているのではないか。

 

ですから、環境問題の解決のためにガドルは生み出され、しかしながら攻撃性があったためにそれをゲームとして利用しよう、そういう自然な流れがあったのでは、と考えました。

 

ドームで完全に大気汚染をクリアできるなら、そのドームを大量生産して繋ぎ合わせれば文明は再興できますよね。しかし、それができないのはドームはある程度大気汚染を中和できても、完全ではないということでしょう。

 

ですから、移動要塞でジリジリと大陸をローラー作戦をするしかない。ガドルとの衝突を通してオキソンを散布し、大気を浄化する。それを繰り返していくには、途方もない時間がかかります。普通の人間は生きていられない。だからこそ、人間は「脳(=自我)」だけを残し、サイボーグ化が進んだ。

 

この壮大な「デカダンス計画」のゴールはきっと、大気汚染をクリアした地球に「生身の身体」で降り立つことでしょう。

それまではサイボーグの身体で生きながらえ、悠久の時間を「デカダンス」という娯楽によって、無聊を慰める。

 

来るべき日を迎えるまで、大事な「生身の素体(本来の自分)」はコールドスリープで保存しておく。この計画を知っているのは一部の人間に限られている。カブラギが知っているかは分かりませんが、恐らくミナトは真相を知っていて、カブラギの素体を回収させたのだと思います。

 

 

 

・今後の展開について

ガドル生産工場を破壊したとして、それで全てが解決するとは思えません。

そもそも、生産工場が1つだけとも限りませんし。

果たして、カブラギは元の姿でナツメと再会できるのでしょうか。

 

「生きることは、戦うこと」

 

それぞれの戦いがどのような決着を迎えるのか。今後も目が離せないですね。